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気ままな一人暮らしの雑記Blog

フラッシュバック

大人になってからよく見ていた、‘‘知らない場所の夢‘‘

自然の中の畑のような場所にポツンとある、コンクリートでできた 8畳ほどの建物。

その中は、部屋をわけるコンクリート壁があるだけで、ドアのない作り。

隣の部屋にはシャワーがついていて、湯船はないがお風呂場のようだった。

そのシャワー室の上の方にあるすりガラスの窓から入る日差しがと ても印象的な夢。

この夢を度々見ることがあり、毎回不思議な気持ちで目が覚めていた。

 

先日、大好きだったおばあちゃんの実家(空き家) を覗きに行った。

そこは昭和から変わらない昔ながらの沖縄の平屋で、 トイレもお風呂も外。

何十年ぶりかに訪れたそこは、あちこち朽ち果ててしまっていた。

家の裏側には家庭菜園ほどの畑があり、その横に小さな建物。

その中に入った瞬間、記憶がフラッシュバックするような感覚になった。

 

夢で見ていたあのコンクリートの建物は、おばあちゃんの実家のお風呂場だったのだ。

『なんで今まで忘れていたんだろう。』

幼い頃はいつも、おばあちゃんとこのお風呂に入っていた。

おばあちゃんがいない日はひいおばあちゃんと…、そうやって日々を過ごしていた場所。

 

忘れてしまった思い出も、記憶の断片として脳裏に焼き付いているんだなと思った。

まだまだ忘れてしまっている大切な記憶はあるはず。

今回のように思い出せるきっかけに出会えるといいな。

夢の話メモ

昔の沖縄では、“生みの親”と“育ての親” というくらい、 両親に代わって育ててくれる人がいるのが当たり前でした。

母やその兄弟もそのように育てられていた為、私も同じように祖父母の元で育ちました。

 

父方のおじいちゃんは、まだ私が5歳くらいの時に亡くなりました 。

私が中学生の頃、大好きだった母方のおばあちゃんも亡くなり、 その数年後おじいちゃんも後を追うようにこの世を去りました。

幼少期の記憶がほぼ無い私にとって唯一覚えているのは、 祖父母と過ごした記憶と沖縄での記憶のみです。

私にとって、とても大切な存在でした。

 

おばあちゃんが亡くなった日から数日後の夢の話。

白い霊柩車が目の前で停まり、おばあちゃんが下りてきました。

「大丈夫だからね。何も心配することないよ。 いつでも見守っているからね。」

そう言ってまた霊柩車に乗り、どこかへ行ってしまう夢でした。

妙にリアルで、本当にあたたかい夢。

それからもたまにですが、おばあちゃんは夢に出てきてくれます。

沖縄の家の近くの海で、 引き潮の時に現れる岩陰で日差しをよけながらおやつを食べておしゃべりする夢や、ただいつも通り自宅で過ごす夢…

おじいちゃんもたまに出てきてくれますが、どんな内容の夢でも、 ただ黙ってじっと前を見ています。

そんなところもおじいちゃんらしいなと思います。

そして先日、父方のおじいちゃんも夢に出てきてくれました。

自営業だったおじいちゃんのトラックに一緒に乗っていて、 優しい笑顔で私に「小さい頃、こんなことしたよな。 あんなことろへ行って~…」と、思い出話をしてくれました。

幼少期の記憶があまりない私にとって、 その話してくれる思い出はあまり記憶にないものもあり、 でも楽しそうに話してくれているのが嬉しかった夢でした。

 

夢に亡くなった親族が出てくるのは、 何かメッセージがるからと言われてます。

これらは記憶も関係しているかもしれませんが、 本当に会いに来てくれていると思います。

 

次はいつ逢えるかな。

旧盆

 

先月のお話です。

8月、沖縄では3日間のお盆があります。

ウンケー(8/20(金) 1日目)

ナカヌヒ(8/21(土) 2日目)

ウークイ(8/22(日) 3日目)

 

毎年必ず家族で集まり、先祖もみんな一緒に過ごすのが当たり前でした。

前回も書いた通り、私は親戚の家で一人暮らししているのですが、今年の旧盆は土日を跨いでいたのでウークイだけ実家に帰ろうと思っていました。

 

そんな前日の土曜日、沖縄でいうナカヌヒ。

起きたらとても暑かったので、クーラーと一緒に扇風機も付けて、出掛けるために支度を始めました。

少ししたら、ピッ!という音が聞こえ、振り返るとリビング側の扇風機が消されていました。

「あ〜消されちゃったな」と思い、またスイッチをつけに行きました。

その時私はこの家に住んでいた、亡くなったおじちゃんが消したんだなと自然に思いました。

 

翌日、実家に帰りウークイの際この話をしたところ、母の弟のおじさんは「あ〜きっとそれおじちゃんだろ。うちにも来てたから」そう言っていました。

前回書いた通り、おじちゃんはまだお墓が無いため、このおじさんちで遺骨をみてもらっています。

おじさんも前日におじちゃんが出てきて、「兄さんは〜...」みたいな話をしてきたそうです。

その時私のおじさんは"兄さん"というのが誰のことかわからなかったそうです。

その話をおじさんが母にしたら、「おじちゃんはお父さん(私のおじいちゃん)のことを兄さんって呼んで慕ってたのよ」と教えていました。

これを聞いて、本当におじさんはみえていて、更に本当におじちゃんは帰ってきていたんだなと感じました。

 

その後、私達はいつも通りしっかりウークイをしてお見送りしました。

皆さんも、お盆は本当に先祖が帰ってきているんだと感じて、しっかり手を合わせましょう。

行動力が生んだ出来事

 

私の父は東京の下町出身です。

そんな父の祖父、 私のひいおじいちゃんのその前の代から下町という、生粋の江戸っ子家系です。

ひいおじいちゃんはとても変わった人で、色々な武勇伝を聞かされていました。

今回はその中の一つ、不思議な話をしようと思います。

 

ある日ひいおじいちゃんは、面識も所縁もない知らない人の自宅の夢を見たそうです。

そしてそこには首の折れたお地蔵様が埋まってしまっているという内容でした。

普通なら何かの記憶の中からできた、ただの夢かなと思うかと思います。

しかし、ひいおじいちゃんはその場所を探すこととしました。

冒頭でも書いた通り、 生まれも育ちも下町なので土地勘がある為夢の記憶をたよりに、その家をなんとか探し出すことに成功しました。

そしてなんとその家に入り、そこの住人の方に『 この家のどこかにお地蔵様が埋まっているんです! 掘らせてください!』と言い、 持ってきていた大きなスコップで庭のあちこちを掘り始めました。

スコップを持った見知らぬおじさんがいきなり訪ねてきてこんなこと言われたらとっても怪しいし絶対に怖いですよね。

断られてもおかしくない状況で許可してくれた住人の方は凄いなと思いました。笑

そうして掘っていると、そこには本当に夢で見た首の折れたお地蔵様がありました。

ひいおじいちゃんはそのお地蔵様をお墓のあるお寺で見てもらうこととしました。

 

現在でもこのお地蔵様は父方のお墓があるお寺のお地蔵様たちと並んでいて、 私たち家族はお墓参りの度にしっかり手を合わせています。

小さい為水子地蔵だと思われているようで、 お寺に来ている方達に可愛い帽子をかぶせてもらっています。

折れてしまっていた首はというと、ひいおじいちゃんが接着剤でくっつけたまま、ちょっとグラグラですが今でもしっかりくっついています。

 

お地蔵様は何故ひいおじいちゃんに助けを求めたのか不思議な出来事です。

 

家族の話

 

祖父は家族みんなを連れて沖縄から東京に引っ越しアパート経営をしていました。

そこは2階建ての一軒家の作りで、母達の住居とはドア1枚で繋がっていました。

風呂無しトイレ共同の、昭和ではよくあるようなものです。

沖縄から出てきた親戚や知り合いはみんなそこに一度は住んでいたと聞きました。

母もその兄弟も成人した頃、 母兄弟の一番下の叔父もそのアパートの一室に住んでいました。

 

そこは1階の1番奥から2番目の部屋。

幼い頃いとこたちとアパートの廊下でよく遊んでいたので、今でも覚えています。
その部屋にはよく“犬を連れたおじさん”が来ていたそうです。

もちろん、この世の方ではないですが…

霊能力のある家族でしたし、何より親族皆その手の話には慣れていたので、特に大騒ぎになることはありませんでした。

それから少しして、石垣島から親戚のお兄ちゃんが引っ越してきました。

お兄ちゃんも幼い頃よく遊びには来ていたものの、 どこに家を借りたら良いかわからず、やはり祖父のアパートに住むこととなりました。

そして、叔父が出てすぐの1番奥から2番目の部屋に決まりました 。

そのお兄ちゃんは、以前BLOGにも書いた西表島出身のユタである親戚の息子です。

お兄ちゃんはあまり口数の多いタイプではないですが、とても優しく温厚で人を脅かしたり嫌な気持にさせることはしない 人なので、どんなにいろんなものが見えてもこちらから相談したり聞いたりす るまで何も言うタイプではありません。

しかし、みんなで夕飯を食べていた時ふと、『“ 犬を連れたおじさん”がよく部屋に来るんだよ。お兄ちゃん(私の 叔父)もあの部屋に住んでいた時見ていたんじゃない?』そう言いだしました。

そして実は見ていた祖父も一緒になり、そのことで3人は盛り上がっていました。

 

霊を見た話はよく聞きますが、こんなに親族みんなが同じ方を見る事があるんだと思うととても不思議ですよね。

なぜみんな怖がっていないかというと、その“ 犬を連れたおじさん” は優しそうで特に何もしてこないからだと口をそろえて言っていました。

 

しかしそこはアパートの4~5畳の小さな部屋。

こんなところで見てしまったら、どう考えても驚いてしまいますよね。

さすが、私の家族だと思いました。笑

 

何度も同じ夢を見ることはないですか?

私はもう20年近く、不定期で同じ夢を見ています。

それは“トイレの夢”で、見るたびに少しずつ変化する夢でした。

初めて見たときは、野原のようなところで穴が開いているだけのトイレでした。

それから何度か同じ夢を見ているうちにコンクリート製の溝だけあるものになったり、お風呂場の一角のようなタイル張りのトイレになり、その後和式トイレのように使うとても簡易的なものへと変化していきました。

隣との壁だけはずっと変わらず、あったりなかったりの作りです。

本当に不衛生な状況の上、丸見えで恥ずかしいはずなのに、周りの人たちは普通に使用しているという夢です。

夢を見た後、気になる内容だったら夢占いを検索して調べますよね。

“トイレの夢”で検索したらそれなりに理由は出てきて、疲れているのかなと理解していました。

 

しかし、数年前とある記事を見てハッとしました。

それは私が何度も夢で見ていたものと、作りが全く同じ中国のトイレの話題でした。

中国へは一度も行ったことはなく、そんなトイレの歴史も見たことはありませんでした。

それにあんなインパクトのある光景ならニュースで見たことを忘れるはずがないので、夢で見ても『ニュースでやっていた中国のトイレの夢見ちゃったな』と思っていたかと思います。

不思議なことではありましたが、今までずっと“あれはどこなんだろう“とモヤモヤしていた気持ちが晴れて少しスッキリしました。

 

夢で見るものは、記憶やその時の感情等いろいろなもので創られるようですが、前世の記憶が蘇ることも多いそうです。

私は前世中国に住んでいて、その頃から軽い潔癖症だったのかなと思いました。笑

どんなトイレか気になった方は、“ニーハオトイレ”で検索してみてください。

おじちゃんのお話

 

私が今住んでいる家は、もともと母方の祖父の妹夫婦の家でした。

数年前、その“おじちゃん” が亡くなり祖父の妹が一人で暮らしていたのですが、 それが難しくなり施設に入ったことがきっかけでした。

わけあってまだお墓がない為“おじちゃん“ の遺骨はそのマンションにあり、 祖父の妹が施設に入った後私が住むにあたって、 祖父の仏壇をみている母の二番目の弟の家で一緒にみてもらうこととなりました。

母の二番目の弟は、兄弟の中で一番霊感が強く“見える人“ ということと、 南部出身で風習を大事にしている従兄のおじさんも一緒に住んでい るというのもあって引き受けてくれました。

 

祖父の妹夫婦のマンションのつくりはとても変わっていて、 部屋を分けている木のサッシを開けると寝室側からリビングが見えるようになっています。

去年の秋、私は夜中に目が覚めてしまい、ふと開いているサッシからリビングの方を見るとその亡くなった“ おじちゃん”がベランダの方を向いて、猫背で立っていました。

『どうしよう、見ちゃったな。』と思いながら目をつぶり、 色々考えているうちにまた寝てしまいました。

怖いという気持ちは全く無く、『“おじちゃん“ は迷子になっているんじゃないか、まだここに住んでいて、 おばちゃんを探しているんじゃないか。』 そう心配な気持ちになり、申し訳ない思いを母に相談しました。

母はその時、「大丈夫よ。」とだけ言い、それ以上何も言いませんでした。

今年のお彼岸、遺骨を預かってくれている母の弟の夢に“ おじちゃん”が出てきたらしく、自宅に訪ねてきて、「いやぁ、 遅いから兄さん(私の祖父)を迎えに来たんだよ~」 と言ったそうです。

おそらく自分の居場所もわかって、二人で一緒にあっちの世界に帰れたんだなと思いとても安心しました。

私もそれ以来、“おじちゃん”を見ることはなくなりました。